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JAFの趣味なページ

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空母



米正規空母ニミッツ

「空母」
物凄く有名な言葉であると同時に、それが一体何なのか意外と知られていない代物。
ということで、今回は「空母」が何なのか解説していきます。
因みに管理人は空母は海と空の融合した、まさに男のロマンを具現化したものだと思っています(笑)

まず最初に「空母」というのは「航空母艦」の略であることを書いておきます。しかし知名度や使用頻度は遥かに「空母」の方が高いので、特に気にする必要はないでしょう。
また外見上の特徴として全通甲板(平らで途中に艦橋構造物などの障害物のない甲板)を備えていることが挙げられますが、全通甲板を備えた艦が全て空母というわけでもありません。(海上自衛隊の「おおすみ」級は全通甲板ですが運用することができないため空母ではありません)
さて空母の定義といえば、飛行機やヘリコプターを運用することができる船のことです。ここで言う運用というのは、ただ離陸させたり着陸させたり(それぞれ発艦・着艦という言葉がよく使われます)するだけでなく、整備・修理・補給などを自力で行うことをさします。よって乗せているだけでは運用しているとはいえません。
空母と一言で言っても数多くの種類があり、現在ではだいたい正規空母・軽空母・ヘリ空母に分けられます。特に厳密な区別の決まりがあるわけではありませんが、慣習上どの程度の大きさか・どのような機種を運用できるのかで振り分けられます。

・正規空母
数万トンの巨大な船体を持ちCTOL機、つまり空母での運用が可能なVTOL(Vertical Take Off and Landing 垂直離着陸可能な飛行機)以外の飛行機を運用可能な空母をこう呼びます。
第二次世界大戦の頃まで活発に建造されていましたが、莫大な建造費・維持費がかかりコストパフォーマンス(払うリスクに対して得る見返りの大きさ)が悪いため、戦後は軽空母に移行することが多くなりました。
現在正規空母を保有しているのは莫大な予算を持つアメリカ合衆国、アメリカと張り合って建造したロシア(当時ソ連)、それにフランスだけです(ちゃんと運用できているのはアメリカだけです)。現役のそれは僅かに14隻と、暗唱することができる程度しか残っていません。
大型空母・対潜空母・攻撃空母と分かれていた頃もありましたが、今は再び統一されています。ただ単に「空母」と言えばほぼこれだと考えていいです。

・軽空母
現在ではVTOL・STOVL(Short Take Off and Vertical Landing 短距離離陸して垂直着陸する飛行機)・ヘリコプターの運用を目的とした空母です。CTOLは運用できません。フォークランド紛争でハリアーを搭載したイギリスの軽空母が活躍したのを受けて広がっていきました。もちろん正規空母ほどの能力はありませんが建造費・維持費などが安くコストパフォーマンスに優れています。
第二次世界大戦の頃は、おおよそ20~40機程度のCTOL機を運用可能である事が共通しています。小さい分建造が容易で数をそろえることができ、数少ない正規空母を補完するような形で運用されることが多かったです。(輸送船団護衛・戦艦部隊護衛・陸戦に対する近接航空支援など)

・ヘリ空母
軽空母からさらにVTOL・STOVLの運用能力を取り除き、ヘリコプターだけを運用可能にした空母です。主に対潜ヘリの運用が目的です。そのため甲板はジェットブラストに耐えられないように作っていることが多く、外見は似ていますが軽空母と同じような運用は不可能です。

第二次世界大戦では潜水艦狩りや輸送船団護衛を専門にした「護衛空母」もありましたが、割愛します。

さて、空母の中でも特に巨大な船体を持った正規空母。現在アメリカ海軍が運用している「ニミッツ」級は満載排水量が10万tを超え、原子力機関搭載で航続距離は事実上無限という化け物のような能力を持っています。このニミッツ級は全長332.8mとかの戦艦大和よりも70mも長い船体を持っていますが、現在のジェット戦闘機ではこれでも離陸滑走距離が不足しています。そこでアメリカ海軍は蒸気圧式のカタパルトを搭載し、これに飛行機を接続して撃ち出す事で離陸速度まで飛行機を加速させています。ロシアの「アドミラル・クズネツォフ」では「スキージャンプ」という上向き勾配を飛行甲板前端に作り、これで飛行機を上に向かって発艦させます。
着艦は空母側はアレスティングワイヤーと呼ばれる金属製のワイヤーを甲板上に張って、それに飛行機側がアレスティングフックと呼ばれるフックを引っ掛けて無理やり停止させます。この着艦方法は空母の黎明期からずっと変わっていません。
なおこれは正規空母だけでなく他の空母にもいえることですが、発着艦時には風上に向けて全速力を出して風を起こし、発艦時には少しでも速度が速くなるように(飛行機が120ノット空母が30ノットなら、静止状態で発艦させるより飛行機の相対速度は30ノット速くなります。この時飛行機が自力で進んで起こす風と空母が起こす風が合わさるので「合成風力」と呼ばれる風がおこります)、着艦時には飛行機が失速して墜落しないように相対速度を少しでも遅くするように(飛行機150ノット空母30ノットなら、相対的に飛行機は120ノットになります)します。第二次世界大戦頃のようなカタパルトもスキージャンプもなかった頃は、この合成風力だけで飛行機を発艦させていました。
高速航行中のジョン・C・ステニス
高速航行中です。艦種の白波がそのスピードを物語っています。



空母の甲板が平らなのはもちろん飛行機が発着艦するためですが、空母の甲板の形状も大きく分けて二つあります。一つはごく普通の、現在の軽空母や第二次世界大戦時の空母に見られる直線甲板。もう一つが現在の正規空母の主流である「アングルドデッキ」というものです。
直線甲板が主流だった頃、着艦してきた飛行機がアレスティングワイヤーにフックをかけ損ねたり、着艦速度が速すぎたりして止まりきれずに前に待機している飛行機につっこむ事故が多発しました。では何故このような事故がおこるのか、どんな下手糞パイロットでも事故を起こさない上手い方法はないだろうか、世界中の空母関係の人が考えました。
そこでイギリスのとある人が二次大戦も終わって大分経ったころ、思いつきました。待機している飛行機に突っ込んでしまうのは、着艦する飛行機の正面に待機しているからだ。だったら着艦する部分の甲板を斜めにして、正面に何もないようにすればいいじゃないか、と。
この考え方は正規空母を建造するつもりがなかったイギリスからアメリカにわたり、「エセックス」級空母に改装が施されてアングルドデッキに生まれ変わりました。狙い通りにこういった事故は激減、着艦に失敗しても再度加速して飛び立てばやり直しもできる。さらに着艦と発艦が同時に行えて効率化にもなる、と想像以上の成果をあげることができました。その後アメリカは次々と正規空母の甲板形状を改装して変更、以降の正規空母は全てアングルドデッキ標準装備で建造されています。
但し軽空母は着艦時にはまっすぐ上から下に下りてくるので止まれずに衝突する事故がおこりようもないので直線甲板が主流のままです。

なお昔三段甲板というものがありましたが、これは日本の空母「赤城」の例をとれば、一番上が発着艦両用甲板、真ん中が小型機発艦用兼大砲を積んだ甲板、一番下が最も長く大型艦上攻撃機発艦用とされました。
しかし実際に使ってみるとすごく使いにくいというのが判明したため、後に改装されて太平洋戦争時の姿になります。

下の写真はアメリカ海軍正規空母の「ニミッツ」を上空から見たものです。
このように発艦と着艦の部分は分かれていて、発艦と着艦を同時に行う場合は黄緑の矢印で示した1・2番カタパルトを使用して発艦させます。ただし、着艦を同時に行わない場合は、黄色の矢印の下に隠れていますが、斜めに設置されている3・4番カタパルトも併用することもできます。
アングルドデッキ



空母はそれなりの深さのある海なら世界中どこへでもいけるため、まさに動く航空基地として運用されます。この地球に海がある限り、空母の燃料が続く限り飛行機は無限の航続距離を得たのと同じことになります(もちろん陸地には上がれないので内陸への攻撃は困難ですが…)。空母が歴史の表舞台に立つようになったのはちょうど第二次世界大戦の頃でした。戦艦より遥かに速く、戦艦の大砲よりも遥かに遠くに届く飛行機を積み、大海原を駆け巡って基地や艦隊を攻撃する。大艦巨砲主義が世界中の海軍を支配する中、初めて空母を有効に活用したのはイギリス海軍でした。そしてその後空母の集中運用の有効性を示し、空母を中心とした戦争の引き金を引いたのは日本海軍でした。

世界で最初に建造が開始された空母はイギリスの「ハーミズ」でした。しかし建造中にいろいろな問題が起きて作業は遅れ、ハーミズの竣工前に日本の「鳳祥」が竣工し、世界初の空母の名は日本がいただくことになりました。この頃の空母は船体も小さく、搭載機数も20機強程度と後に軽空母に分類されるものでした。この後日本・イギリス、そしてアメリカはそれぞれが空母の建造を開始しました。
当初は純粋に空母として建造されるものは少なく、戦艦・巡洋戦艦・民間客船などから改装されたものがほとんどを占めました。日本の「赤城」「加賀」、アメリカの「レキシントン」「サラトガ」などがそれです。
空母は年々大きくなっていき、またその数も増やしていきましたがあくまで補助艦、海軍の主力は依然として戦艦が腰をすえていました。空母の飛行機は戦艦の厚い装甲は破れず、その飛行機しか戦力がない空母は戦艦にはかなわない、という考え方が世界の主流でした。決して日本だけが大艦巨砲主義に凝り固まっていたわけではないのです。
その中1940年11月、イギリス海軍の空母「イラストリアス」から出撃した艦上攻撃機「ソードフィッシュ」21機がイタリア海軍の軍港タラントを空襲、戦艦1隻を撃沈し2隻を大破させました。しかしこの攻撃は紛れも無い空母の有効運用ではありましたが、空母を戦艦に取って代わらせるほどのインパクトはありませんでした。
そのような状況を打破したのが1941年12月8日にあった真珠湾奇襲、そして12月10日のマレー沖海戦でした。
1941年12月8日、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の6隻の正規空母を中心とした日本海軍機動部隊から300機を超える飛行機が出撃し、真珠湾に停泊中だったアメリカ海軍戦艦8隻のうち4隻を撃沈、残りも全て損傷させる大戦果を挙げました。この攻撃でアメリカ海軍は主力である戦艦部隊を失いまた飛行場の航空部隊も壊滅的な打撃を受けました。
マレー沖海戦ではイギリス海軍の誇る最新型の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を陸上基地から出撃した日本海軍の攻撃機が撃沈、飛行機が戦艦に勝ることをここに証明しました。
日本海軍機動部隊はその後もウェーク島攻撃やセイロン島(スリランカ)沖でのインド洋海戦で次々と戦果をあげ、空母の位置を不動にして見せました。
ただし日本軍の悪かったところはこれほど空母が戦果を挙げているにも関わらず大艦巨砲主義を改めることがなかったことです(もちろん航空主兵主義論者もいましたが)。
戦艦を失ったアメリカ海軍は真珠湾攻撃の時に偶然出航していて無傷だった
空母を中心に活動を開始、1942年5月には世界初の空母対空母の海戦である珊瑚海海戦が勃発しました。6月5日には再び空母対空母であるミッドウェー海戦が勃発しました。この時に日本海軍は正規空母4隻を失い、この後ずっと米軍の後手に回ることになってしまいますが、ここでは深くは語らないでおきましょう。
ソロモン諸島・太平洋の島々・グアムサイパン・硫黄島・沖縄・日本本土と太平洋戦争中アメリカ海軍の機動部隊は艦載機で空襲を行い、大海原のどこからでも飛行機を発進させることのできる空母はアメリカ海軍の主力としてその地位を完全に確保し、戦艦を過去のものとしました。

戦後、アメリカ軍は大きな戦争があるたびにそこに空母機動部隊を派遣して空襲を行い戦術上は圧倒的な勝利をおさめてきました。飛行機のハイテク化・強化が目覚しい今日ではアメリカ軍にとって、世界中どこでも迅速に展開し航空支援を行う空母はなくてはならないものになっています。


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